東国原知事 発言を釈明 「徴兵制あってしかるべきだ」→農業体験させる「徴農制」を 2007/11/30付 西日本新聞
の2本の記事を収納しておきました。ま、共同通信さんと、西日本新聞さん、社会性、公共性の高い記事だとおもうので、お目こぼしください。
実は、そのまんま東さんというと、ボスが極道から足をあらうきっかけになった最初の本の企画にたずさわった画家の山本集さんと縁があって、その孫縁というのが当方のボスにもあるわけです。
ところで、山本集さんですが、膀胱癌がみつかって、つい先日、手術したわけです。昨日、ボスと一緒にお見舞いにいってきました、手術は成功におわって、まだ、麻酔がきれていないのか、「ボーッ」としてましたが、元気のようです。
だいたい、当方のボスもそうですけど、どうも最近、ボスの周辺では「癌」が多いわけです。癌に関しては、先輩格にあたるボスでして、「問題は、簡単に死ねない最近の癌事情」などについて、山本集さんとお話したのですが、膀胱癌になられた山本集さんの一番の心配事が「手術やってもいいが、その後、おちんちんは使えるか?」という深刻なものでした。
通常ですと、膀胱を摘出しますと、あっちはつかえなくなることが多いのですが、「それなら、このまま手術せんで死ぬ」(山本氏談)ということで、これには、実はボスも激しく同意したのです。ところが、最近は「人工膀胱」という方法もあって、「あっちも心配ない」ということがわかり、ボスと山本集さんは、手をとりあって喜んで、手術をうけることになったのです。でないと、手術せずに死ぬんだそうです。どこか、この人達はおかしいとおもうのですが、ま、両者とも癌持ちですから、私があれこれいえません。
問題の、そのまんま東さんなんですが、例の不祥事をおこして、芸能界からボイコットされたというか、自粛していたときに、奈良県にある山本画伯のアトリエで修行したわけです。ここには、芸能界だけでなくて、あちこちの人が、不祥事をおこして、反省して、再起するために山本さんのところで修行するということで、いろいろな人がきたのです。山本さんの修行というのは、シンプルで、いってみれば、「懲役にいったか、徴兵にいったかのつもりになれ」ということで、礼儀作法見習いを徹底するわけです。起床から、その一日の行動、就寝まで徹底的に規則正しい生活を送ります。すこしでも、乱れると、殴られます。蹴られます。ボコボコにされます。
この生活のなかで、山本集さんが、ひとつだけそのまんま東さんに、課題をあたえました。山本さんのアトリエからあるいて1時間ぐらいのところに、忘れ去れたかのような小さなお地蔵さんがあります。
「毎日、そのお地蔵さんにかよって、掃除して、そのお地蔵さんの前で黙祷して、1時間でも2時間でも、そのお地蔵さんと話をしてくる」
ま、自問自答するわけです。
これが、毎日です。あとは、規則正しい生活、掃除、炊事、洗濯をするわけです。そのまんま東さんは、この生活を、3ヶ月間おくられたそうです。90日間、お地蔵さんと自問自答されたわけです。
これ、すごいですね。
あとは、山本さんが、「どうや?」って聞くと、「また、頑張れます」とそのまんま東さんはいわれたそうで、それで修行は修了というわけです。
あと、なにもいらん、能書きやら、説教やら、訓辞をたれたわけじゃありません。
名も知らぬ、忘れ去れたかのようなお地蔵さんと、90日間会話する。
それだけです。
こうしたことをしっているうちのボスは、東国原英夫知事の「徴兵制」発言に関して、なにかおもうことがあったようです。
うちの遠藤顧問に電話しています。
「なにかいい文献はないか?」
遠藤顧問、
「なるほど、徴兵制か・・・。これは納税とおなじで民主主義の基本原理なんだよな。欧州では徴兵を拒否してもいい、そのかわり、その徴兵期間は、ボランティア活動に従事するとか、そういうのもあるしな」
ということです。
そして、遠藤顧問から入門編としての一冊の本が届きました。
森口 朗『戦後教育で失われたもの』新潮選書、2005年
学校教育において教えられた「民主主義」も、デモクラシーの本質を削除されたものでした。デモクラシーの本質とは、「国民皆兵がデモクラシーの正当性を基礎付けた」という歴史的事実です。
我々はなぜ、一人一票ずつ投票権を与えられ、国政や地方政治に参加できるのか。納税者だからではありません。納税者であるがゆえに国政に口を出せるのならば、制限選挙か納税額一万円につき一票といったシステムの方が合理的です。
しかし、そうではない。フランス革命によって完成した近代デモクラシー国家において国民軍は不可欠な要素でした。有事になれば、たった一つしかない命を国家に預けて戦う。これが国民国家の基本型です。だから平時にだって国民は平等に国政に口を出す。命の重みに金持ちも貧乏人もありません。それゆえの「一人一票」なのです。
ついでに言うとじゃあなぜ婦人参政権は認められたのでしょう。それは、第一次世界大戦により戦争のあり方が、軍事力勝負から政治経済を含めた国力すべてを費やして戦う「総力戦」に変わったからです。これによって、「銃後」が極めて重要な存在になりました。これが、婦人参政権が認められた最大の根拠です。
戦後教育は、この最も重要な点を隠蔽しました。日本弱体化が目的であったGHQにとって、「民主主義」と「戦争」はどこまでも対立的でなければならなかったのです。(186〜187頁)
テーマ:これでいいのか日本 - ジャンル:政治・経済
- 2007/12/03(月) 08:49:21|
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